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韓国の名節

 

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◆ 開天節 ◆

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103日行われる韓国の国慶日。紀元前2333(戊辰年)、檀君紀元元年旧暦103日、国祖檀君が最初の民族国家である檀君朝鮮を建国したことを称える意味として制定された。
  しかし開天節は、「開天」の本来の意味からみて、檀君朝鮮の建国日を意味するよりも、124年を溯及し天神である「桓因」の意を受けて「桓雄」が白頭山神檀樹に下って「神市」を開いて、「弘益人間」「理化世界」の大業を始めた 、上元甲子年(紀元前2457) 旧暦103日を意味すると考えたほうがもっと妥当かもしれない。
  したがって開天節は、民族国家の建国を慶祝する国家的祝い日と同時に、文化民族としての新しい誕生を慶祝して天に感謝する韓民族固有の伝統的な名節と言える。
  特に韓民族は、10月を「上月」と言い、新穀を神に捧げて感謝し、敬虔な心で感謝行事を行う10月を一番大切にし、3日の3の数字を「吉数」と思って来た。
  「開天節」と名付けたのは大宗教から始まる。1900115日ソウルで「羅喆(弘巌大宗師)」が中心 となり、「開天節」を慶祝日に制定して毎年行事を行った。
  日帝時代に「開天節」行事は、民族意識を鼓吹するのに寄与し、特に上海臨時政府は「開天節」を慶祝日と定めて敬賀式を行った。光復後大韓民国では、これを受け継いで「開天節」を国慶日として正式に定め、当時まで慶祝式典で歌った大宗教の「開天節歌」を今の歌に変えた。  「開天節」は、大韓民国樹立後まで旧暦で行ってきたが、1949年文教部が委嘱した「開天節陰・陽暦換用審議会」の審議結果、陰・陽暦換算が不可能であり、103日という記録を大事にしたいとの意見で、1949101日に公布された「祝日に関する法律」に基づいて、旧暦103日を陽暦103日に変えて行うようになった。
 
◆ 開天節の由来 ◆

 韓民族の起源を伝える開国神話。「古記」を引用した「三国 遺事」<紀異編>と中国の「魏書」、また李承休の「帝王韻記」に似た内容が書かれてあるが、一般的には「三国有史」の記録を引用する。これによると、昔、桓因天帝が三危・太白を見て、広く人間世界に利益を与える所と言って、息子の「雄」を送り、天符印3個を持って国を治めるようにした。「雄」は3千の家来を率いて、太白山「神檀樹」に下って神市を開いた。これが桓雄天王である。
 「雄」は「風伯」「雨師」「雲師」を指揮して、「穀」「命」「病」「刑罰」「善」「悪」など世の中の360余りの事を治めた。この時、熊と虎いて洞窟の中で暮しながら人になるのを懇請した。「雄」は蓬(よもぎ)一束と葫(にんにく)二十個を与えながら、これを食べて百日間光を見なければ人になれると言った。虎は守れなかったが、熊は耐え切って女になった。それで、「雄」と結婚して「檀君王倹」を生んだ。檀君は「尭(唐高)」 即位後50年に「平壌城」に都邑し、国を朝鮮と称して、1500年後に「蔵唐京」に遷都した。その後「檀君王倹」は神になったと伝えられている。また、「帝王韻記」には「桓雄」が、自分の孫嬢に薬を飲ませ人間に変身させ、「檀樹神」と婚姻するようにした。その間で「檀君」が生まれたと書かれてある。

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